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甲府地方裁判所 昭和30年(ワ)192号 判決 1956年10月24日

原告 池田正朔

右代理人弁護士 安藤宇一郎

被告 小野弥一郎

右代理人弁護士 向山義雅

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

被告が昭和二十九年六月二十四日原告主張の約束手形一通を訴外野沢左内宛に振出した事実は当事者間に争がない。しかして表面記載部分の成立につき争がなく、その余の部分につき証人野沢左内の証言並に原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第一号証の一の裏書欄記載の文言によると原告が昭和二十九年八月二十日訴外野沢左内より白地式裏書により本件手形の裏書譲渡を受けたことを認めるに足る形式外観を有することが明かである。しかるところ被告は右裏書記載は通常の裏書でなくして、取立委任の目的のみをもつて通常の裏書をなした所謂隠れたる取立委任裏書であるところ、被告は右手形の受取人である訴外野沢左内に対し強迫に基き振出されたものであることを理由として、本件手形の振出行為を取消す旨の意思表示をなしたるを以つて、右振出行為は無効に帰し、被告は同訴外人に対して有する右人的抗弁を被裏書人たる原告に対抗できると主張するを以つて、先ずこの点につき判断するに前記甲第一号証の一、証人小野純子の証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証、証人小野純子、同吉見忠運、同吉見光枝、同野沢左内、同野沢サダ、同海保光代の各証言(但し証人野沢左内、同野沢サダ、同海保光代の各証言中いずれも後記措信しない部分を除く)並に被告本人尋問の結果を綜合すると、被告は訴外栄和商事株式会社の社長であつたが、右会社は訴外野沢左内に対する金三百六十万円の債務を負担したまま営業不振のため解散したので、同訴外人は社長たる被告に対し、その責任上被告個人の財産をもつて右債務を完済するよう要求したが、被告はこれに応じなかつたため、同訴外人は原告主張の如く北勝治等を代理人として昭和二十九年六月二十三日頃、山梨県韮崎市所在の被告方に赴かせ会社債務の弁済方を強要した上、更に被告を原告主張の野沢左内方に連行し同日午前七時頃より同日午後二時過頃迄同家に監禁し、その間北勝治等をして、被告を取囲み、テーブルを叩き子分を使つて、君の家をつぶしてみせる等強迫的言辞を弄して、金三百六十万円の即時支払若しくは、同額の約束手形の振出方を要求し、同人を畏怖させた結果約束手形用紙を被告に交付し、署名拇印せしめた上金額金三百六十万円の本件約束手形を訴外野沢左内宛に振出さしめた事実が認められる。而して証人野沢左内、同野沢サダ、同海保光代の証言中右認定に反する供述は当裁判所に於てたやすく措信しがたいところであり、他に認定を覆すに足る証拠がない。

また証人田草川貞雄、同小野純子の各証言によれば、訴外野沢左内が原告に本件手形を裏書交付した後である昭和二十九年九月下旬頃同訴外人は、訴外北勝治と共に本件手形を所持し、韮崎市所在の被告方に赴き右手形金の支払を請求した事実が認められる。しかして、右事実及び前段認定の本件手形が振出されるに至つた事情経緯並に原告本人尋問の結果の一部とを綜合して考えれば訴外野沢左内は原告に対し手形金の取立を委任する趣旨で、本件手形に通常の裏書文言を記載し以つて隠れたる取立委任裏書をなした事実が推認できる。しかして何等の反証もない。

所謂隠れたる取立委任裏書も通常の取立委任裏書と同様単に手形金の取立権能を移転する効力を有するに過ぎないと解すべきであるから、手形債務者たる振出人は、手形債権者たるべき裏書人に対抗し得べき人的抗弁をもつて、取立権者たる被裏書人に対抗できるものというべきである。飜つて、本件につき考えるに、訴外野沢左内と原告間の前記裏書が前認定の如く隠れたる取立委任裏書である以上、右手形の振出人たる被告は、裏書人たる訴外野沢左内に対抗し得る、人的抗弁を以つて、被裏書人たる原告に対抗できるものというべきところ、本件手形は被告が訴外野沢左内の強迫に基き振出されたものであること、前記認定のとおりであるから、被告は訴外野沢左内に対し、本件手形の振出しが強迫による意思表示に基きなされたものであることを理由として、これを取消し、本件手形金の支払を免れることができるから該抗弁は被裏書人たる原告に対しても当然対抗できるものというべきところ郵便官署作成部分の成立につき争がなく、その他の部分につき被告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる乙第三号証の一及び成立に争のない同号証の二、並に被告本人尋問の結果を綜合すると被告は代理人である弁護士向山義雅に依頼し、昭和二十九年六月三十日本件手形の受取人である訴外野沢左内に対し、内容証明郵便を以つて本件手形の振出行為を強迫に基き振出したことを理由として取消す旨の意思表示を発し、それは同年七月一日同訴外人に到達した事実が認められるから、同日本件手形の振出行為は取消により無効に帰し被告は裏書人たる同訴外人に対し本件手形金の支払義務を有しないことが明らかである。従つて、右抗弁を対抗し得る被裏書人たる原告に対しても本件手形金の支払義務を有しないことが明らかであるから爾余の争点につき判断するまでもなく原告の本訴請求は理由がない。よつてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 野口仲治)

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